人新世の「資本論」(斎藤幸平著、集英社新書)に、「オランダの誤謬」というコンセプトに関する記述があります。オランダでは経済的に豊かな生活を享受しているが、一方で大気汚染や水質汚染の程度は比較的低い。しかし、その豊かな生活は、資源採掘、製品生産、ごみ処理など、経済発展に伴い生じる環境負荷が発生する部分を途上国に押し付けているからこそ実現している。この国際的な環境負荷の転嫁を無視して、先進国が経済成長と技術開発によって環境問題を解決したと思い込んでしまうのが。「オランダの誤謬」です。
これは実際にその通りだと思います。先進国では、経済成長と環境負荷がデカップリングしており、経済成長を継続しつつ、2050年カーボンゼロなどを実現し環境問題を解決することは可能、すでにそれを実現できる技術はある、などの楽観的意見もあります。しかし、それは、世界全体、バリューチェーン全体を見通した議論とはなっていません。
グリーンディールへの大々的な投資によるイノベーションの進展に対する期待も大きいですが、本当の脱炭素は、かなり難しいでしょう。EV一つとっても、走行時に化石燃料は使用しないとしても、資源採掘や部材の生産に関わる環境負荷は大きく、電力を再生可能エネルギーで賄うとしても、太陽光パネルや風力設備のバリューチェーンの環境負荷もあります。
人新世の「資本論」では、経済成長を義務付けられる資本主義のもとでは、脱炭素技術やサーキュラーエコノミーが進展して資源効率が高まったとしても、消費が増え続ける限り脱炭素は無理だろうとしています。そして、人類が環境危機を乗り切り、持続可能で公正な社会を実現するための唯一の選択肢は、「脱成長コミュニズム」であるとしています。
私もローカルなコミュニティから変化が始まり、それが広がっていく新しい分散型社会に本質的な解があるのではないかと思っていますが、世界にそれが広がるには相当な時間がかかるでしょう。当面は、資本主義の中で脱炭素が本当に可能なのか、様々なチャレンジがなされるでしょう。世界的な脱炭素が急速に動き始めている現在、5年もすれば資本主義のチャレンジの方向性も見えてくるでしょう。それと並行して、新しい分散型社会構築の動きも徐々に広がると思います。いずれにせよ、世界のリーダーは、「オランダの誤謬」を常に念頭に置き、何が本質的に目指すべき方向性なのかを常に考える必要があります。
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